日本の高齢者の中でも男性が女性に頼りっきり、きつめに言えば依存しすぎているのにはきっと様々な要因があるはず。時代、性格、環境、風土・・・。高齢者になれば、時代が大きく関わってくるでしょう。なぜ、妻に依存しすぎる男性が出来上がるのか個人的に紐解いていきます。
【妻に依存する男性は妻に何を求めているのか】
そもそも日本には、
「男子、厨房に入らず」
なんてことわざがあったり、
自分の下着や背広がどこにあるかわからない、なんて人がいたり、
一番風呂は必ずお父さん、という謎のしきたりがあったり、
とにかく男性を立てることが女性の役目といわんばかりの文化が未だにあります。
メリーの祖父母、父母はまさにこれに当てはまります。
父や祖父に対して子供心に、
「なんで自分でやらないんだろう。」
と、不思議でたまりませんでした。
母や祖母が出来ていなかったり、呼んでもなかなかすぐに来なかったりすると、火が付いたように怒るのも心の底から嫌でした。
もう、嫌悪感と恐怖感しかなかったです。
年頃になると、ただただその光景を見ているだけでうんざりでした。
そして、従順に言うことを聞いている母や祖母にイライラしていたのも覚えています。
大人になると、この状況を見て気持ちが悪いと思うことも増えました。
そうしてようやくこの関係性を言語化できるようになったのですが、これは完全に
依存
だということに気づいたのです。
父や祖父は、自分の妻に対して完全に甘えていて、まるで自分専用のメイドかのように扱い、人前ではよく気の利く自分の女であってほしくて、子供の教育に関しては完璧な母親であることを望み、でも自分のことは全部わかっていてほしいというトンデモない男であると個人的にメリーは思っています。
中らずと雖も遠からず、といった方を知っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そもそも「依存」の言葉を調べると、
他に頼って存在、または生活すること。
完全に祖父と父は、祖母や母がいないとすでに生きていけません。
まず、
①御飯が作れない。でも、総菜は好きじゃない。
②買い物が出来ない。セルフレジなんてもってのほか。
③ATMの使い方もわからないし、一人で銀行など行けない。
これだけでも、立派に一人で生活できないことがわかりますが、それよりもなによりも、
妻がいなくなったら、途端に元気がなくなり生きる気力がなくなります。それは何故か。
妻ありきの生活しかしてこなかったから
これに尽きます。
だって、ぜーんぶ妻にやらせていたんですから。
これって、妻が先にいなくなったら、ということを全く考えていないってことになりませんか?
妻の存在ややってくれるということが「当たり前」で、ずっと続くと思ってないとそんな生き方できませんよね。
自分のほうが先にいく、と勝手に思い込んでいるのかわかりませんが、妻は今まで元気だったし、ずっと自分のそばにいて全部やってくれていたし、何よりずっと妻がいてくれることが当たり前だと思っていないとこんな生活できない、とメリーは思ってしまうのです。
【どうしてそんな男性ができあがるのか】
これは、いろんな理由がありますが一番は時代背景が大きい気がします。
というより、昔は男女で役割が明確に分かれていて、生物学的にも体力や筋力が男女で違うのですから男女で向いている仕事、作業が主な役割になるのは至極自然なこと。
でも現代は「多様化」が叫ばれる時代。
男女で分けずに、一人の人間としてジェンダーに縛られない生き方が個人の個性やスキルが伸びますよね。
メリー個人としては、男女に生物学的な差があるのは現実ですが、それは「差別」ではなくただの「区別」だと思っています。
だけどそれを、すべての男女に当てはめて、「差別」するのは間違いですが。
で、どうして妻に依存する男性ができあがるのか、という疑問です。
戦後などは仕方ない部分もあります。多様化なんてそれどころではなく、とにかく「生きること」に必死だった世代ですから。
ただ、それを差し引いても妻への依存度が高かったメリーの祖父は、祖母の「自分で考える能力」を奪ってしまった、と思います。
メリーの母も同じでした。
母の時代は、高度経済成長期真っ只中で日本経済が右肩上がりの時。
戦後のニッポンの女性とストッキングは強くなった、なんて言葉ができたぐらい女性も社会に出始めた頃。
でも、メリーの母は強いどころが父に束縛され、父のすべての世話をし、父の満足する食事を用意して、メリーたち子供に学費がかかりだすころからパートに出かけ、毎日忙しくしていました。
そして、父の機嫌を損ねると暴言をはかれ、殴られていました。祖父母も同じです。
今文章で書いていても、気分が悪くなります・・・。
ですが、
妻である母も、全部言うことを従順に聞いて世話してあげてきたからそんな男が出来上がるのです。
やらなければいいのです。
これだけ書くと、ちょっと乱暴な言い方ですが(笑)。
よく言うじゃないですか。
「あの時代、子供抱えて離婚して実家になんか帰れなかった。親に迷惑かけるから。」とか。
「子供たちのこと考えたら、離婚はかわいそうだし生活ができなくなるから。」とか。
「実家に帰ったり、出ていくお金がなかったから」とか。
まあ、あの昭和の時代を思えばそう考えて思いとどまる女性が多かったのはなんとなくわかります。
でも、子供だったメリーの立場から言わせてもらうと、
「子供のこと考えてくれるんだったら、離婚してほしかったなあ」
と、思います。
あんなものを見せられて育った子供は一体どんな大人に育つのか、考えてほしかったですねえ。
おかげでメリーはしっかりと「上から目線の偉そうな男」「男尊女卑の影が見え隠れする男」嫌いを発症。もちろん手を挙げる男なんて論外で場外です。
いわゆる「行動できなかった妻」である母や祖母は、現代を生きるメリーからすれば「変化を恐れただけ」、でも、父や祖父からの恐怖政治により「自分で考える能力を奪われてしまったかわいそうな妻」
であるとも思っています。
だって、何か意見を言えば「反対される」「バカにされる」「怒られる」「暴力を振るわれる」。
毎回そうであれば、誰でも諦めますよね。
「どうせ何言っても無理だし、怒られたら嫌だし面倒だし」
と、なります。
そのくせ、妻が何も言わないでいると、
「お前は自分の意見はないのか」とか、「何も知らないわかってない女」とか、とんでもない発言を妻にぶちかます。
自分の妻がなぜそうなってしまったのかなんて考えたこともないのでしょう。
しかし、男性がここまでひどくないのに妻に依存しすぎている、というパターンもあります。
それは、妻がしっかり者で男性に言われる前にできちゃう場合です。
言われるのもわかってるし、男性が何を望んでいるかわかっているので先にやってしまうのです。
「男性はどうせやらないし出来ない。だから自分がやるのは仕方ない」と。
そうするとどうでしょう。
みるみるなにもできない男性の出来上がりです。
だって、言われる前に全部出来上がってるんですもの、とっても楽ちんですよね。
「やっとけ」って言ったらすぐやってくれるしね。
そりゃあ依存もします。楽ですから。
男性ばかりが悪いのではなく、女性もそんな男性を作ってしまっているということがわかります。
【妻に依存して生きてきた男性の末路】
これはとても大変です。
生活ができないのですから。
お金もおろせない、買い物もできない、レジの仕組みもわからない、ご飯作れない。
頼れる家族もいなくてたった一人残されたらこれは見るも無残です。
それをきっかけにしっかり自分でできるようになる人も実際います。
しかし、少数ではないでしょうか。
結局妻に依存してきた男性は、近くに子供がいれば子供に頼ります。
やってもらってきた男性はやってもらい慣れしているのです。
少しでも自分でできるようになろう、と努力する影でも見えれば可愛いものですが、近くに何も言わなくても助けてくれる子供や子供の嫁がいればやはりそこに頼ります。
そして、少しずつ子供や子供の嫁に密かにうんざりされちゃったりするんです。
子供や子供の嫁にも生活、仕事があるのです。
依存、甘えもほどほどにしないといい加減嫌がられるんですよね。
そんな風に思われてから最後を迎えるの嫌じゃないですかね。本人が気づかなければいいっちゃいいのか。
ただ、メリーは年をとってからそんなこと思われながら生きるの嫌だなあ・・・。
え?あんまり決めつけないでほしいって?
すみません、個人的な意見を決めつけのように書いてしまって。
ええ、これは実際メリーの家族や、親族、知り合い、と周りの例があまりにもこんなことが多くてメリーの知っていることと感じていることを書いています。
あくまで個人的見解です。
でも、結局妻に依存している男性は妻に先だたれると、途端に元気がなくなって、、、ということになりやすいですよね。
【妻に依存しないでいきていけるようになってもらうためには】
それは、ズバリ、
教育と、なんでも最初からやってあげ過ぎないこと
です。
自立を促しましょう。妻に依存する男性は、大きな子供のようなものです。
教育するのです。
そして、自分のことは自分でできるように教育して、自分でやったほうが早いからってやってあげ過ぎないことです。
ね?まるで子供を育てているみたいでしょう?
ある意味そんな気持ちでやったらいいと思います。
そうして、お互いに自立し、どちらかが先にいなくなっても困らないようにしておくことが一番安心です。
あまり甘やかしてはいけません。
この世から一人でも妻に依存しすぎて一人になったら路頭に迷う男性が減りますように。
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