よく自己肯定感という言葉を目にします。自己肯定感が低い人と高い人とではなにがどう違うのでしょう?そして自己肯定感が低い人はどんな人なのでしょうか?自己肯定感が底辺にあったわたくし、メリーが実体験を通して気づいたことを記していきます。
【自己肯定感が高い人、低い人】
突然ですがみなさんは自己肯定感が高いですか?それとも低いですか?
メリーは、物心ついたころからつい最近まで低いどころか底辺にありました。今は底辺ではないですが、高くもないです。おそらく平均よりは低め、といったところでしょうか(平均がどんなものかはメリーがなんとなく思う部分ですので具体的にはなんとも言えませんが)。
これから書くことはあくまでメリーが個人的に感じたり思ったことですので、温かい目で読み進めていただければ、と思っています。
まず、自己肯定感が低い人、メリーなんですけど、
・とにかくなんでもやる前から最悪を考えすぎて行動できない
・たとえ可能なことでも自分は無能だから絶対できない、と強く思ってしまいやらない
・過剰に周りの目が気になりいつも心の中はイライラしている
・自分の失敗をこの世の終わりレベルでひきずり忘れられない
・「どうせ、私なんか、でも、だって」のワードが多い
・自分が嫌いで受け入れられない
・とにかくいつも自分に自信がない
あくまでメリー目線ですが、こんな感じです。これだといつまでたってもなにもできないし、やらない。だから同じところでいつもブルブル震えています。なので、もちろん成長もしません。
これに比べて自己肯定感が高い人は、
・いつもニコニコと笑顔(気持ちがよい)
・いつまでも悩まないでまずはやってみる、行動する
・切り替えが早い(失敗をいつまでも引きずらず、次につなげる・生かす)
・起こったことに対してではなく、これからのことを考える
・常に自分というものを受入れている
・いつも自分に程よいくらいの(あるいはとても)自信がある
メリーはこのように感じています。あと、なんだかみなさんとっても、
キラキラしている
ように見えます。メリーの気のせいでしょうか?
とにかく自己肯定感の高い人というのは、気持ちの良い人が多いですね。とっても行動的ですし、建設的です。メリーが直接見てきた人たちは、とても明るくてとにかくきちんと自分に自信を持っていました。
そして自分の中にちゃんと自分なりの答えを出していて、無駄なことで悩んだりせず自分の足で進んでいました。
【自己肯定感がなぜ低くなるの?なぜ高いの?】
自己肯定感とは、
自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。自己肯定感とは「自分の存在そのものを認める」感覚であり、「ありのままの自分をかけがえのない存在として肯定的、好意的に受け止めることができる感覚」のことで、「自分が自分をどう思うか」という自己認識が自己肯定感を決定づけています。自己肯定感とは?自己肯定感とは? – 一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会 (self-esteem.or.jp)より抜粋
らしいです。
確かに、かの有名な曲の♪ありの~ままの~、の彼女はそのメロディを口ずさみながら有りのままの自分でいることを選び部屋にこもるのをやめました。つまりは他人にどう見られて生きていくのかということよりも、自分はどう生きていきたいのかを自分できちんと考え答えを出したのですよね。
彼女は特殊な事情の例ですが、両親から愛されているという事実や安心感というのは自己肯定感が高くなる一つの要因に思えます。それは、一番身近な両親や大人にありのままの自分を受入れてもらうことで相手からの愛情を感じ、そして、これでいいんだ、ここにいていいんだ、と安心できる大きな材料ですよね。
そういった環境で育った人は、素直で明るく自分をちゃんと受け入れているから失敗してもその失敗した自分をも受け入れています。だから次へ進めるのです。
反対に自己肯定感が低い人(メリーがそうでしたが)は、幼少期やお年頃の青年期などに両親から否定されたり、意見を聞き入れてもらえなかったり、失敗したら怒られたり、自分は愛されているという実感を得られなかったパターンが多いように感じます。
メリーの父親は特に厳しく暴力も当たり前な父親で完全に子どもをコントロールして支配下に置きたいタイプでした。世間体が気になる人なので、メリーのできないことややらないことに対して「なぜできないのかやれないのか理解できない」とばかりにスパルタな父親でした。メリーは父親がとにかく怖くて嫌いで母親に助けを求めたいのですが、母親も父親の言う通りにしないと自分も殴られるからメリーを助けられない状態だったんです。
何を言っても「お前はバカだ」「なんでできない」「これをしろ」「ここに行け」など、メリーは自分で物事を考えて自分で決める、という力を養うこともできないまま大人になってしまいました。それができないと、すべて他人任せになり自分で考えて決定することを放棄します。自分で決定し行動することがとても怖くて結局いつまでも同じことを悩んでるだけ。行動できるわけもありません。
何より、自分に自信がないのだから自分が決めたことが間違っていたどうしよう、などどうでもいいことでなやんでそのまま決められないのです。「どうせ私なんかそんなこと考えたってわからない」などと自分をどんどん下げていきます。メリーの感覚では父親に「メリーはバカだ。頭が悪い。」ということを小さなころから植え付けられたような気さえします。それがこんないい大人になるまでひきずってこじらせてしまうのですから、恐ろしいですよね。
【自己肯定感はどうやって高める?】
では、自己肯定感は高められるのでしょうか?結論から言えば、
高められます。
なぜならメリーは底辺からだいぶ高めることはできたからです。
ただこれはあくまでメリーはできましたが、全員当てはまるかどうかはわかりません。
結局これは「学んで、気づき、考え方を変える」ことなのです。その学びと気づきはメリーの場合、本と世の中の発信者さんたちの言葉でした。以前までのメリーだったら、そんなものはポジショントークでしょう、と聞く耳すら持たなかったと思うのです。ですが、コロナ情勢でいろいろ考えることがあった数年前スルスルと彼らの言葉が入ってきて胸に刺さる、といった現象がメリーのなかに起きました。そこから本を読み漁り、先人たちの知恵と思考を学びました。
そしてメリーは気づくのです。
自分はとても愚かだった、と。
さらに、
もっと早く読めばよかった、と。
愚かだったというのは、自分が悩んでいることは常に他人目線であったこと。自分目線ではなかったんです。他人の人生を歩くのではなく、自分の人生を歩もう、ということがメリーを変えた内容でした。
そのころから今までの思考グセを直し、本で学んだことを実践したり。
要は、自己肯定感の高い人のマインドを知り、思考を真似てみるのです。本などで知識は入っていますので真似といってもつけ焼刃ではありません。学びから自分で気づくことさえできれば、人は変われます。
おかげさまで、メリーは自己肯定感が以前に比べて高くなりました。高い人に比べたらまだまだ低いけど・・・。
自分を否定するのも辞めました。失敗した過去の自分も受け入れました。許してあげました。その時、小さなころのさみしそうなメリーをもう一人のメリーが抱きしめてあげたような気がして、涙が出てきてしまったことはここだけの秘密。
今は、嫌いだった自分のことも好きになりました。そうしたら楽になったんです。
だから今こうしてブログなんて書いています。
自己肯定感は高められます。高めることができれば、幸せを感じられるようにもなれます。今メリーは
「これでいいんだなあ。」という安心感と日々幸せをかみしめています。
前を向いて歩いて行けます。
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